京都大学 岩下直行 教授
スタートアップが活躍する社会のために、フィンテックが果たす役割とは

コード決済などのキャッシュレス決済を、多くの人が日々利用していると思います。個人レベルの金融ではフィンテックは普及してきていますが、法人間の取引では昔ながらの慣行が今も行われていて、金融のデジタル化は発展途上にあります。

今回は、京都大学公共政策大学院の岩下直行教授に、そうした日本のフィンテックの現状や課題、将来性などについて伺いました。

特に法人間取引の課題と、そこにどのようにしてフィンテックが関わっていくかについて詳しくお話しいただいています。日本のフィンテックについて問題意識や興味を持つ人にとって、非常に有意義な内容となっているでしょう。

インタビューにご協力頂いた方

京都大学 公共政策大学院 教授
岩下 直行(いわした なおゆき)

慶應義塾大学で経済学を学び、1984年に日銀入行後は、調査統計局や企画局でエコノミストとして勤務。1994年に日銀・金融研究所に異動してからは、暗号技術、電子マネー、生体認証技術など、情報技術革新と金融の関りにかかる研究を15年間続ける。同研究所内でこの分野の研究をより深めるために、情報技術研究センターを立ち上げ、その初代センター長に就任。その後、日銀下関支店長、日立製作所への出向、金融高度化センター長を経て、初代の日銀FinTechセンター長を務め、2017年、日銀を退職。現在は、京都大学公共政策大学院教授として大学院生に金融政策とFinTechを教えつつ、金融庁参与、金融審議会委員、規制改革推進会議委員を兼務している。

世界のフィンテック発展の契機はリーマンショックにあった

今回は日本のリテールや法人間取引でのフィンテックの現状や課題、そして将来性などについてお話ししたいと思います。

その前にまず「フィンテック」の定義を確認しましょう。フィンテックが何を指すかは人によって色々な意見があると思いますが、一般的には「従来は銀行が行ってきた業務を、ベンチャー企業が代わって行うこと」と考えられることが多いですね。つまり、送金や貸出またはリテールペイントにおけるキャッシュレス決済など、銀行が行ってきたサービスやビジネスをベンチャー企業が行うことを、一般的にフィンテックと呼んでいます。

フィンテックというと、暗号資産による金融も指すと考えている人もいます。実際にビットコインが出始めた2009年頃は、この新しいテクノロジーが金融を変えると多くの人が語っていました。しかし実際に10年以上やってみて、ビットコインがマジョリティになったかというとそうではないですよね。ビットコインが伝統的金融に取って変わった訳ではなく、実際は「暗号資産による新しい経済を作ろう」のような話になっています。暗号資産は従来からある金融とは別のものを目指しているので、私は暗号資産とフィンテックは異なるものとして考えています。この記事でも、従来からある金融をいかにイノベーションするかという視点から、フィンテックのお話をしたいと考えています。

フィンテックが世界的に注目され始めたのは、2006年くらいからのサブプライムバブルの崩壊と、それに続くリーマンショックがきっかけです。その時の金融危機によって欧米の銀行は大きな痛手を負い、銀行が融資するビジネスも大きく停滞しましたが、シリコンバレーのベンチャー企業たちは比較的元気でした。そうしたシリコンバレーの企業の中でもフィンテックの元祖と言われているのが「PayPal」です。このPayPalを作ったのが、イーロン・マスク氏をはじめとするのちに「ペイパルマフィア」と呼ばれる人たちで、彼らは現在のインターネット文化の中心となる巨大動画サイトを作ったり、GAFAの一角をなすSNSに出資をしたりしてきましたから、インターネットが社会の中で存在感を高める過程で、弱った銀行に代わってPayPalのようなフィンテック企業も急速に成長し、金融の世界において浸透し定着してきたといえます。ヨーロッパでも、イギリスやルクセンブルクのようにデジタル技術が普及している国では、フィンテックもまた普及していることが多いですね。

日本の場合は、1990年代のバブル崩壊によってすでに金融が大打撃を受けており、その時に教訓を得ていたので欧米のようにサブプライムバブルに乗って痛い目を見ることはありませんでした。では、日本がバブル崩壊を境にフィンテックや金融のデジタル化が進んだかというと、そうではありません。その理由には、バブル崩壊が起きた年代も関係しています。バブル崩壊が起きた90年代は、そもそもデジタル技術があまり発展していませんでした。また、日本のバブル崩壊はリーマンショックなどに比べて、ずっと金融に与えた打撃が大きかったという事情もあります。だから「フィンテックも取り込みながら金融を再建しよう」というよりも、「従来ある金融をより強化しよう」という方向で進みました。そうして日本ではメガバンクを作って金融を強化し、現在でもフィンテックのベンチャー企業と銀行は、競争と言うよりも共存するような形になっています。

欧米や日本のフィンテックの経緯にはこうした歴史的背景がありますが、中国のフィンテックはまた違っていて、2013年〜2014年にかけて2つの巨大IT企業によるオンライン決済が急速に発展し、中国の全国民がそれによって決済できるような状況になりました。こうした急成長は日本のIT企業経営者にとって良い刺激になっており、オンラインショッピングを始めとした巨大商圏を形成する某IT企業の経営者は、自社のサービスをその中国企業のようなオンライン決済サービスの水準にまで高めたいとインタビューで話すなど、日本でも有力なフィンテック企業は今後増えてくる兆しを見せています。

リテールに浸透したフィンテックは、新たなビジネスチャンスを生んでいる

フィンテックは使われる場面によって、大きく2種類に分けられると思います。1つはリテールの決済。もう1つは法人間の決済です。ここからはリテールペイメントについてお話ししたいと思います。

「日本人は現金好き」と言われることがありますね。もっとも、世界中でお金が嫌いな人はいないと思いますが、ただ「現金」となると色々な事情が出てきます。例えば治安の問題です。現金は決済方法の中でもとりわけ匿名性が高いので、もし盗まれたとしても、そのお金は持ち主の個人情報と紐づいていないわけですから、盗んだ人が自由に使えてしまうわけです。そんな決済方法を治安の悪い地域で持ち歩くのは危険ですよね。アメリカなどでクレジットカードが大きく普及しているのは、こうした問題に対する対策という面もあると思います。

それに対して、日本は比較的治安が良いですよね。空き巣や詐欺被害に遭わない保証はありませんが、現金を持ち歩くリスクは低い方だといえます。それに加えて、日本人には「お金に装飾を加える」ような独特の文化も存在します。一般的に「ピン札」はくっついたりして数え間違う可能性があるので、特に銀行はピン札を嫌う傾向がありますが、京都の人はピン札が大好きなんです。

私は京都に住んでいるんですが、街で買い物してお釣りをもらうと、綺麗なお札が返ってくることがあります。これはなぜかと言うと、ご祝儀文化があるからです。例えば料亭への支払いや芸事の師匠へのお礼などに、くたびれたお札を使うことはせず、ピン札で、しかも番号の揃ったお札を使う文化があるんですね。世界を見渡しても、現金に対してこれほど特別な意味を持たせる民族は少ないんじゃないかと思います。

治安の良さや文化的な背景も相まって、日本でのリテールペイメントの主役はこれまで現金でした。これには販売する側が負担する手数料の問題もあります。例えばクレジットカードで決済する場合、販売側には売上の2%〜5%程度の手数料がかかってきます。お店からすると、カード決済よりも現金の方がコストがかからずに済む、というわけです。実際に、小さな商店などではそれが当てはまるかも知れません。

しかしここには落とし穴があります。それは、「現金は手数料無料で取り扱える」という誤解です。例えば、小売店では1日の業務が終了したらレジを締めて入出金に誤りがないかチェックしますが、それには人件費がかかります。または従業員がレジから現金を盗まないかを防止したり確認するために防犯カメラを置くとか、そうしたことにもコストはかかります。現金を扱うことのコストは商業規模が大きくなるほど大きくなり、海外の事例などによると実質的には2%〜4%と言われているため、実はキャッシュレス決済にかかるコストとそれほど差がありません。

様々な理由により日本のキャッシュレス決済はそれほど進んできませんでしたが、消費税の増税に関連した2017年〜2018年の政府のキャッシュレス推進策が契機になって、大きく動き出すことになります。

現在では様々なコード決済をはじめとしたキャッシュレス決済が、コンビニやタクシーなど至る所で使えるようになりましたね。消費者がキャッシュレスで決済するということは、企業にとっては新しいビジネスの可能性が生まれることを意味しています。キャッシュレス決済のサービスを利用するためには本人確認が必要になりますが、それによって決済手段と顧客の情報が紐づくようになりました。企業は、買い物をした人の属性、何をどれくらい買ったかなどデータを取得することが容易になり、それによって顧客の年齢と売れ筋商品の関連性などを分析できるようになりました。これは現金決済ではできなかったことです。

日本のリテール決済でのフィンテックは大きく発展してきましたが、高齢者にとってはまだ金融のデジタル化の道は遠いですし、欧米や中国の水準には至っていないのが現状です。そうした点で日本にはまだ課題が残されているといえます。

フィンテックは法人間の取引慣行も変えつつある

続いて、法人間取引にある課題とフィンテックの現状についてお話ししたいと思います。リテールに比べて法人間の取引には特有の問題があり、それが金融のデジタル化にとってハードルになっています。フィンテックを推進する際の法人間取引にある課題を挙げると、大きく次の3つになるでしょう。

  1. 法人間取引は基本的に掛け売り・掛け買いとなっており、そもそも現金決済ではないこと
  2. そうした取引慣行は、大企業をはじめ多くの企業が常識として認識し行っていること
  3. 現在ある銀行のサービスは、フィンテックに対応したものが少ないこと

まず1つ目ですが、日本の法人間の取引は「月末締めの翌月10日渡し」のように、月単位で決済するのが常識になっています。そしてこうした取引を間違いなく遂行するために、各企業では専門の経理部を置いていますよね。

実はこうした取引慣行は、世界の中ではやや特殊な部類に入ります。海外では基本的に「グロス決済」と言って、1件ごとに決済する方法が主流です。もちろん海外にも、日本の経理部に相当する「accounting」と言う職務はあるのですが、主に企業の予算や支出などの面を担っていて、売掛金・買掛金の管理ようなことをしている訳ではありません。

かつて日本の銀行で資金を送金すると、1回あたり700円〜800円ほどの手数料がかかっていました。取引回数が増えると送金のコストもかかるので、それを月単位で集約して1回の送金にまとめることには合理的理由があったんですね。しかし現在では、フィンテックによって送金のコストは1回100円以下にまで下がっています。「それなら経理マンを雇って任せるよりも1件ごとに決済した方が安上がりで合理的だ」「リアルタイムで決済されない売掛金が大きくなると連鎖倒産の危険も高まる」という考え方に切り替えていっても良いと思うのですが、実際はなかなかそうはいきません。

それが2つ目の理由として挙げた、昔ながらの取引慣行が、大企業をはじめ多くの企業にとって常識になっていることにつながります。現代は世の中の多くのサービスがインターネットによって効率化されていますが、法人間の取引ではネットバンキングは実はそれほど浸透していません。今でも月末には経理部の職員が連れ立って銀行へ行き、そこで大量の送金手続きを行う昔ながらのやり方をしている会社は少なくありません。インターネットを使った合理化や経営改革のようなものは、自社内だけなら行えても、取引相手もいる場合は容易に行えないのが実情です。

以前私は日銀にいましたが、その時に大手企業の景気動向を聞き取りに行くような仕事もしていました。そういう時は経理部や財務部に伺うんですが、私たちが話をしているそばで請求や発注を手書きのFAXで行っているような光景をよく見ました。日本有数の大企業ですらそうした効率的とは言えない経理を保っているんですよね。製造現場では、徹底したコスト削減やイノベーションを行っている彼らですが、経理やあるいは人事のような企業にとって間違いが許されない大事な部署では、効率性を求めて変革するのは容易なことではないのだと思います。そうしたことに加えて、経理には「決められたことをきっちりやる保守的な人材が向いている」ということもあるでしょう。間違いのない堅い仕事を求められてきた経理部の人たちに、インターネットを使って業務を効率化しましょうと言っても、なかなか受け入れてはもらえません。

ここで、3つ目に挙げた問題が出てきます。現在ある日本企業の経理部が保守的な経理を希望しているため、そうした彼らを相手にしている銀行が提供するサービスもまた、経理部の好みにあった保守的なものになってしまう、という問題です。フィンテックによって業務が効率化できるとすればこの部分になるのですが、では現在の銀行が「月単位で集計する現在の取引方法を改めませんか?」とか「領収書や請求書などの事務をオンラインでやりましょう」のような提案ができているかというと、そうではありません。

こうした点にイノベーションをもたらしているのは、企業間決済を仲介するようなスタートアップ企業です。こうしたフィンテック企業は銀行ではないので、資金を決済するところまではできないのですが、決済をするために必要な情報を提供し、それによって企業は送金コストの安いネットバンキングを利用するなどして、より効率的な決済方法を構築していけるようなサービスになっています。

これまで銀行送金の手数料は、1回あたり何百円もかかっていました。しかしメールを1つ送ることを考えると、指定した相手へ確実に情報を届けると言う点では、システム的には銀行送金と大きな違いはありません。メールが無料で送れるなら、送金だって技術的には無料でできるんですよね。こうしたサービスと近いことをネット銀行はすでにしているので、どんどん活用すべきだと思います。

しかし実際は、企業の経理や金融に対して、インターネットを持ち込むことに抵抗を持つ人は多いです。確かにセキュリティの欠陥を突いたインターネット上の犯罪はあるので、そうした所にリスクを感じるのは無理もない話ですが、今やインターネットはビジネスを行う上で欠かせないツールなので、金融だけを特別扱いする理由はありません。現金を扱うことによってかかるコストやリスクもあることを考えると、より合理的でさらにコストも抑えられる方向へ、インターネット技術を利用しながら進んでいくのは、企業経営の今後を考える上では避けられないことでしょう。それが、フィンテックを活用した新しい経理の仕方を考えるということだと思います。

フィンテックの普及は、スタートアップが活躍する社会にもつながる

最後は、日本の法人間取引においてフィンテックが今後普及していくことを思わせる、いくつかの変化の兆しについてお話ししたいと思います。

皆さんは「手形」と呼ばれるものをご存知でしょうか。手形や小切手は、金融の教科書の初めの方に書いてあるくらいで、実際に見たことがある人は少ないかも知れません。手形とは、「そこに記載の金額をいつまでに払う」ことを証明する書類なのですが、日本各地にあったこの手形の交換所が廃止され、東京へ集約されるという出来事がありました。

ビジネスにおいて手形という言葉に出会うのは、大企業と取引する時でしょう。彼らは当たり前のように「手形のサイトは3ヶ月です」と言ってくるわけですが、これは、商品を納品してもそれに対する入金は3ヶ月後です、というような意味なので、運転資金が潤沢ではないスタートアップ企業にとっては死活問題になる場合があります。

手形が持つ大きな問題は、入金を一定期間引き延ばせることが大企業にとってのある種の既得権益のようになっていて、公正な取引を阻害する恐れがあることです。商慣行としてまかり通ってはいますが、入金を引き伸ばす合理的な理由はありません。それに加えて、手形交換所で紙の証書を持って取引するということも、現代では非常に非効率な話ですよね。

さらに、売掛金に対する入金までの期間が伸びることで、ベンチャー企業の黒字倒産のリスクも高くなってしまいます。大企業はたくさん買ってくれるので、それに応えて納品していると、原材料費の支払いのために手元の現金がなくなってしまうんですね。こうした苦労は、実際に若手経営者からもよく聞きます。事業を行う上でどうしても資金が足りない場合は、お金を借りるためのフィンテックもありますが、日本ではあまり一般的ではないので、銀行から借りると良いでしょう。いずれにしても、大企業の持つ古い商慣行が、ベンチャー企業の参入や事業拡大にとって大きな障害になっていることには、大きな問題があります。

手形そのものも将来的には完全に廃止されると思いますが、それに先んじて各地の交換所が廃止されたことは、日本の金融や商慣行を前進させる上で非常に大きな変化だと私は思っています。

もう1つの大きな変化は、2023年10月から導入されるインボイス制度です。これを境に電子取引がより普及していくことが期待できますし、今まで古い慣行でやってきた経理事務にも効率化のメスが入ることも考えられます。スタートアップの人たちが非合理的な商慣行や資金繰りなどに苦労させられることは、これからの日本経済を考える上でも大きなマイナスです。新しく事業を始める人を歓迎するような社会であるべきでしょう。

ここまで、フィンテックについてお話を進めてきましたが、それだけでは日本の金融は変わりません。今日本にある法人間の取引慣行を、より効率的に、そして若い人たちもビジネスしやすい方向に変えていく過程で、フィンテックというテクノロジーを活用していくことが重要ではないでしょうか。

取材・執筆:World Academic Journal  編集部