東京大学 飯島勝矢 教授
働く世代こそ知ってほしい、健康リテラシーの基本

持続可能性という言葉を見かけることの多い昨今ですが、それは何も社会のあり方に限るものではありません。一番身近な自分自身の健康を保つということも、非常に大切ですね。

健康維持のために注目されている「健康リテラシー」の考え方は、重大な病気の早期発見などで重要なだけではなく、ビジネスの場面やキャリア形成のような一見健康とは無関係に見える部分でも効果を発揮します。

そこで今回は、医師であり、かつ高齢社会対応の総合まちづくり戦略を推進している東京大学高齢社会総合研究機構長・未来ビジョン研究センター教授の飯島勝矢先生にお話を伺いました。

健康リテラシーの基本はもちろん、健康経営などの考え方もお話しいただいているので、日々自分の健康を犠牲にして過ごしている、と感じているような方には、ぜひ目を通していただけたらと思います。

インタビューにご協力頂いた方

東京大学 高齢社会総合研究機構 機構長
東京大学 未来ビジョン研究センター 教授
飯島 勝矢(いいじま かつや)

医師 医学博士。1990年東京慈恵会医科大学卒業、千葉大学医学部附属病院循環器内科入局、東京大学大学院医学系研究科加齢医学講座 助手・同講師、米国スタンフォード大学医学部研究員を経て、2016年より東京大学高齢社会総合研究機構教授、2020年より同研究機構教授・機構長、および未来ビジョン研究センター教授

【専門】老年医学、老年学(ジェロントロジー:総合老年学)、特に健康長寿実現に向けたフレイル予防を軸とした超高齢社会の総合まちづくり研究、在宅医療介護連携推進を軸とする地域包括ケアシステム構築、高齢者の生きがい就労、情報システム活用も含めた新たな次世代コミュニティ、等

健康リテラシーとは、自分の健康に興味を持ち、それを維持するために必要な行動を起こすこと

今世の中では、「健康リテラシー」または「ヘルスリテラシー」と呼ばれる考え方が注目されています。”リテラシー”(literacy)とは元々「読解し記述する能力」を意味する言葉ですが、そこから転じて「ある物事を適切に理解し、その上で活用する能力」のように使われることが多いですね。「健康リテラシー」といった場合には、自分自身の健康状態に興味を持った上で、健康に関わる適切な情報を集め、それを自分に当てはめていく能力になろうかと思います。

健康リテラシーは、自分の健康に対して興味を持つことだけでは不十分な場合があります。例えば、「このところ精密検査を受けていないな」「でも、かかりつけの医師はいるし、時々診察をする機会もあるから大丈夫だろう」と考えることはありませんか?しかし、こうして意識を持っていたとしても、定期的に人間ドックを受けるなどの行動を実際に起こさないと、がんなどの重大な病気の早期発見に繋がらないリスクがありますね。したがって、健康リテラシーの考え方では、意識を持つだけではなく、きちんと実行に移すことまでが重要であるといえます。

病気の早期発見などだけではなく、健康リテラシーが低い場合には、その人の仕事や社会生活に影響を与える可能性があります。その最たるものが「歯やお口」でしょう。「歯を見ればその人が分かる」などといわれることがあるように、人と接した時に見られる歯や口は、その人の社会性や健康リテラシーの程度を判断されやすい部分でもあります。こうした部分にもきちんと意識を向け、早めにケアできることは、特に人と接することの多いビジネスパーソンなどは気を配るべき部分ではないでしょうか。

情報を正しく取捨選択することも、健康リテラシーの重要なポイント

病気はいつ我が身に降りかかるかわかりません。それに対する日常生活の考え方として、健康リテラシーを高めることは重要です。もちろん、病気とひと言でいっても多種多様であり、年齢や性別などの条件によっても違いがあります。「健康リテラシーが高いと病気になりにくい」と一概に言えるわけではない点は理解しておく必要があります。

まず大事なことは、先ほどもお伝えした通り、自分自身の健康について興味を持つことです。その次に大切なのは、健康に関する情報に接した時に、他人事だと思わないことでしょう。

病気のリスクを軽減する有効な方法の1つに「早期発見」がありますね。例えばお住いの市区町村では、健康診断などを毎年受けることができます。こうした情報に触れた時に、他人事だと思わずにちゃんと行動に移せば、病気の早期発見に繋げられるかも知れません。こうした検査を受けることは日本国民の権利でもあるので、皆さんにはぜひ活用して欲しいと考えています。そして、健康診断の結果が出たら、その結果をもとにどう行動するかを考えることも大切なことです。

以前と違って現代では、健康に関する情報を簡単に手に入れられる時代です。自ら進んで調べることで、色々な知識を得て選択肢を広げられる世の中ではありますが、忘れてはいけない注意点もあります。それは、得られる情報の全てが科学的根拠に基づいているとは限らない、ということです。

例として、若年層のがん患者に対する治療の選択肢について考えてみます。治療に際しては、西洋医学のアプローチ(手術や抗がん剤治療、放射線治療など)もある一方で、民間療法的なアプローチもありますね。そうした治療方法を調べていくと非常に多くの情報に接することになり、より良い判断をすることが難しい場合もあると思います。こうした場合には、きちんと専門家に相談し、治療方法の科学的根拠を確認しながら、方針を決定されると良いでしょう。このように、健康に関する情報を入手することだけではなく、その情報を適切に判断する能力も健康リテラシーの重要なポイントになります。

こうした健康リテラシーの考え方は、大人になってから始めるというよりも、子供の頃から少しずつ培っていきたいものです。健康リテラシーの考え方は多岐に渡りますが、原則としては「自分自身の健康に対する取り組みは、まずは自分でやっていくものだ」ということですね。お子さんへの教育にあたっては、まずは「自分の身体の健康は自分で守る」という感覚的なものを養ってあげることが大切です。

日本と欧米の健康リテラシーの違いと、今ある日本の課題

ここで、日本と欧米での健康リテラシーの違いに目を向けてみたいと思います。例えば、乳がん等の健診の受診率を比べると、欧米の方が日本よりも高いと言われています。また、「歯」に対する意識も欧米の方が高く、健康を保ち綺麗でいられるようにケアする人は多いようです。それに対して日本は、健康的な体型を維持する、つまり太りにくい生活習慣の面で健康リテラシーは高いでしょう。

また日本の特徴として、国民皆保険制度という世界でも有数の優れた保険制度があります。ただし、この国民皆保険制度は非常に優れたシステムであるがゆえに、日本人はそれに甘えてしまい、「いざとなったら病院に行けば大丈夫だろう」のような考えにつながってしまう場合もあるようです。極端な例ですが、タクシー代わりに救急車を呼んでしまう、といった話も聞かれますね。優れた保険制度のために健康リテラシーから遠ざかるようでは、本末転倒です。

こうした日本の弱点をどのように克服し、健康に対する意識を啓発できるかも今後の課題になるでしょう。例えばアメリカでは、紫外線による皮膚がん発症予防の啓発として、ドラッグストアの店先にたくさんのそばかすがある若者の写真が貼られていたりします。日本人の感覚からすると刺激の強いポスターですが、アメリカではこうしたものを街中に置くことで、人々の意識を健康へ向けさせようとしているんですね。日本においても、「病気になっても病院に行けば治してもらえる」とは思わずに、自分の健康は自分で守る健康リテラシーの啓発が、より一層求められているといえるでしょう。

企業経営者に求められる健康リテラシー

ここまでは主に個人の健康リテラシーについてお話ししてきましたが、最後は、企業経営や組織運営においての健康リテラシーについて見ていきたいと思います。

医師としての経験による私見ではありますが、例えば会社の社長のように産業界でトップに立つ人は、健康リテラシーも高い場合が多いように感じます。もちろんそうした立場の人たちは、周囲の勧めで人間ドックを受診することもあると思いますが、そもそも自分の健康は自分で守るという考え方が身についているのだと思います。自分の体調を含めて色々な部分に気を配れるからこそ、キャリアアップも可能なのでしょう。

そうした企業の上層部の人たちと接する中で、最近聞く考え方に「健康経営」というものがあります。健康経営とは、社員全体の健康が企業の生産性に寄与するものであると捉え、その点に対して経営的な視点から投資をしていく、というような考え方ですね。

私が聞いた健康経営の実例を、ここでいくつかご紹介しましょう。例えば、高齢者が多く働いている企業の健康診断では、一般的な検査や採血などだけではなく、身体機能(体の柔軟性、バランスを取る力、目の見え方など)の検査も実施しているそうです。この職場では、足元が不安定でバランスの取りにくい場所での転倒や、作業時にうっかり指を挟んでしまうなどの事故が起こりやすいそうですが、それを防ぐために包括的な健康診断を行なっているといえるでしょう。

またある地方自治体では、メタボ対策として定期的に血圧を測定しているそうです。その方々と飲み会の席をご一緒したことがあるのですが、宴席の途中から皆さんの飲み物がお酒から烏龍茶などに代わっていったことがありました。もちろん、市役所の皆さんは実はお酒が苦手だった、という話ではなく、健康維持のための組織的なルールづくりによって、個々人の健康リテラシーも向上していたことが、その時に行動となって表れたんですね。

こうした企業や組織の取り組みは、一人では継続しにくい健康維持のための生活習慣を改善し、健康リテラシーを向上させる方法として、良いヒントになるのではないでしょうか。是非とも前向きに考えていただき、個人の健康、企業や団体自体の健康、そして住んでいる地域コミュニティの健康、全てを実現していきましょう。

取材・執筆:World Academic Journal  編集部