将棋・囲碁・チェスなどで人間に勝利できるまでになった人工知能(AI)。これを、判断が難しいとされる為替取引においても活用できないかと考える方は多いことでしょう。しかし、人工知能はその性質上、為替取引では期待通りに特性を発揮できるものではないようです。それはなぜなのか。そこで今回、データサイエンスをご専門とされる茨城大学の鈴木智也先生にインタビューさせていただきました。
インタビューにご協力頂いた方
茨城大学大学院 理工学研究科 教授
鈴木 智也(すずき ともや)
物理学で博士号を取得後、東京電機大学助手、同志社大学講師、茨城大学准教授を経て、2016年より同大学教授。
データサイエンスや機械学習によるビジネス利活用を研究テーマとし、その社会実装として自社ベンチャー代表取締役や大手アセットマネジメント特任研究員を兼務。
テクニカル分析では国際最高資格 (MFTA) やジョン・ブルックス賞を受賞し、講演・執筆活動も精力的に取り組む。
人工知能とは過去データを基に自ら処理過程を作り出すもの
人工知能(AI)と聞くだけで何やら凄そうだと考えるのではなく、これまでのコンピューターとどう違うのかをまず理解しておきましょう。人工知能とは、物事を判断するための知能を持つ機械と考えてください。過去に起きた事象のデータを組み合わせ、そこから最適な処理過程を自ら作り出し、その後に判断していくための知能を獲得します。もし人工知能が為替取引を行えるとするならば、人工知能は過去の金融データを基に自分で処理過程を見出し、投資判断を行うということになりますね。
一方で、人工知能を持たないコンピューターというのは、人間によって作られた処理過程を事前に与えられています。このことをプログラミングと呼びますが、既に与えられた処理過程によって物事を判断するのが従来のコンピューターです。処理過程を自ら考え出せる「人工知能」に対し、従来のコンピューターは自分で処理過程を生み出すことができませんので、ここでは「人工無能」と呼ぶことにしましょう(※図1、※参考1)。
人工無能の処理過程は、主に「もし〜〜の時は、△△する」という「If-Thenルール」に基づいて人間によってプログラミングされます。人工無能は処理過程を自分で考え出すことができないにしても、一度プログラミングされてしまえば後は自動で投資判断などを行うことは十分可能です。事実、1980年代前半にパソコンが普及したことがきっかけで、為替取引の投資判断をプログラムで行う「システムトレード」が大流行しました。
人工知能でも人工無能でも、人間にない5つの利点「自動性・不休性、安定性、高速性、大量性、客観性」を持っています。実は金融業務においては、人工知能でも人工無能でも機能に大きな差はないのです。
※図1:コンピュータによる売買アルゴリズム
※参考1:大和アセットマネジメント「投資理論とコンピュータの歴史」
為替取引でコンピューターを活用する利点
では、人工知能であろうと人工無能であろうと、そもそも為替取引でコンピューターを活用する利点について具体的に説明しましょう。これは先述の通り「自動性・不休性、安定性、高速性、大量性、客観性」と5つに分けられます。
まず「自動性・不休性」とは、24時間フルオートで稼働できるということです。人間の場合、24時間休むことなく投資判断をし続けることは不可能ですよね。為替における取引時間帯は株式市場などに比べて長いため、24時間の中で常に東京・ロンドン・ニューヨークといった各巨大市場のいずれかが開いている状態です。24時間稼働できるコンピューターに取引を任せておけば、損切りなどのリスク管理も自動で行ってくれますから、安心して取引画面から目を離しておくこともできるでしょう。
また、「安定性」の高さもコンピューターを活用する利点です。コンピューターには人間のような疲労は発生しませんので、注意不足により誤発注してしまうなどのミスはほぼ起きません。もちろんコンピューターにはバグの発生によるエラーもありますが、誤作動を未然に防ぐためにテストを入念に行ったり、停止するなどといったルールを設けておけば問題ないでしょう。
そしてコンピューターには、人間よりも素早く売買注文を出せる「高速性」があります。特に短時間で売買を繰り返し小さい値幅での利確を積み重ねていく取引手法「スキャルピング」においては、人間よりもコンピューターのほうが「ここぞ」という注文のタイミングを捉えやすいといえます。
さらに、銘柄を大量に保有しながらも全てを注意深く監視し続けられる「大量性」といった利点もコンピューターには存在します。これは、膨大なデータ処理を一度に実行できるコンピューターだからこそ成せる技で、人間であれば一人で多量の銘柄を同時に全て監視するなどということはできません。特に株式市場では銘柄数が膨大に存在しますので、コンピューターの大量性は大きな味方と言えるでしょう。心置きなく様々な銘柄を保有できるというわけです。
とはいえ、非常に多彩な銘柄から適切な選択をし、然るべきタイミングで取引を行えば良いのかを判断することは難しいものです。そこで役立つのが、コンピューターの「客観性」です。人間の判断というのは、完全に合理的に行うことができません。なぜなら、感情が入り込んでしまうためです。投資の成否を分けるのはメンタルコントロールであると言われるのは、これが理由です。コンピューターの場合、多額の利益を得ても自信過剰になることはありませんので、危険なタイミングにも関わらず果敢に取引に走ってしまうようなリスクはないでしょう。また、大きな損を被っても自信喪失することはないので、ベストな売買タイミングにも関わらず、損失を恐れて取引を避けるなどということもありません。
コンピューターの利点は特にHFT・執行アルゴリズムで活きる
為替取引でコンピューターを活用する利点が特に活かされるのは、「HFT」「執行アルゴリズム」といった業務です。まずHFTとは、マーケットメイカーが行う高頻度トレードのことを指します。マーケットメイカーとは、為替や株式などの金融取引を円滑にすべく参加者の間に立ち、売値・買値を提示して大量の売買を成立させてスプレッド(売値・買値の差額)を利益として稼ぐ業者です。この収益行為をマーケットメイクと言います。
マーケットメイカーは、売値・買値の掲示が相場価格の変動に付いていけないと割安・割高で取引することになるため、スプレッドが稼げません。そのため、マーケットメイカーは掲示する売値・買値を素早く更新し続けなければならないため、注文板を常に監視しています。ところが昨今では、急速な通信技術の進化により注文板の表示はマイクロ秒(100万分の1秒)で極めて迅速に変化するため、人間が感知できる速度を遥かに超えています。そこで、「高速性」「大量性」といったコンピューターの利点が活きるわけです(※図2)。
※図2:HFTの仕組み
また、執行アルゴリズムとは、顧客の注文を金融市場に送る役割をするコンピュータープログラムのことです(※図3)。トレーダーは一度に高額な注文を成立させると相場価格を変動させてしまい、結果として自分自身が割高・割安で取引することになってしまうことがあります。ですから少しずつ売買を成立させた方が良いのですが、時間を取りすぎると自然に相場価格が動いてしまい、ベストな取引タイミングを逃してしまうリスクもあるわけです。この絶妙なバランスを見極めつつ最適な取引を実行することがトレーダーの腕の見せどころなのですが、そこで有効に機能するのが「執行アルゴリズム」です。
この一つに、例えばVWAP(ブイワップ:売買高加重平均価格)というルールベースの自動処理システムがあります。取引量が多いタイミングではかなり多額の売買をしない限り相場価格は変動しませんので、顧客が納得しやすい価格(VWAP)で注文量を増やすことでタイミングコストを抑えることができます。これによって、2017年に某外資系金融機関のトレーダーが大量解雇されたことは記憶に新しいですね。このように執行業務はルールベースで自動化できますから、金融機関が人件費削減としてまずトレーダー職から減らしていくというのは、当然の選択と言えるでしょう。
※図3:執行アルゴリズム
金融市場の環境は変化するため人工知能を活かしにくい
以上見てきたとおり、「HFT」「執行アルゴリズム」などの金融業務においてコンピューターは大活躍します。ですが金融分野では「過去データから自ら思考過程を考えて判断を下す」人工知能 (AI) の能力というのは活かすことができません。例えば、投資判断などに人工知能を用いようとしても、有効には機能しません。
というのも、将棋・囲碁・チェスなどのように規則・行動範囲が限られた環境では、そこから生じた過去データは、未来においても同様である可能性が高いと考えられるからです。そのような条件下であれば、高速かつ大量にデータ処理できる人工知能の力は有利に働くでしょう。ですが、金融市場はマクロ・ミクロに関する多様な因子が影響しており、かつそれらが複雑に絡み合いながら常に構造を変化させています。まさに「生き物」と言っても良いかもしれません。例えば、金利は為替・株式などの金融市場に強く影響しますがその高低は時代によって異なりますし、各国の大統領・首相も時代とともに変わりますよね。つまり金融市場では、人工知能が学習する情報の発生源自体が時と共に変化してしまうのです。過去と全く同じ状況にならない環境下では、人工知能の特性を活かし難いのです。
遠い将来予測ができないとなると、スキャルピングのような短期売買であれば人工知能が活かせるのではと考える方もいることでしょう。確かにフル板情報を使えば1分未満ならばある程度予測できそうです(※参考2)。しかし、短期トレードで利益を取るにはスプレッド以上の値幅で利確しなければなりません。よって短期ほど勝ちにくいトレードになります。それに現代ではすでに多くのAIソフト(特にpythonライブラリー)が流布されていていますから、こうした誰でも使えるツールや情報を使用するだけでは差別化ができません。特に為替取引はゼロサムゲームなので、差別化しないと収益機会を得られません。また、昨今の金融市場においてフラッシュクラッシュ(急落相場)の連鎖反応が度々発生するのも、多くのトレーダーが似たようなアルゴリズムで自動売買するため、何らかの特徴的な相場変化に対して大多数のアルゴリズムが同じ反応(売買行動)をするためです。人工知能にせよ従来からのシステムトレードにせよ、コンピューターを使った自動売買を利用する人が増えてきた証といえますね。いずれにせよ、為替取引で儲けるために人工知能を使っても特に役立たないと考えるのが妥当でしょう(ただし上述のようにマーケットメイクや執行業務には役立ちます)。人工知能を使えば為替取引の勝率を上げられるという幻想が広まっている原因は、未だ多くの方々が従来のコンピューターと人工知能の違いを理解できていないことがまず一つ。そして将棋や囲碁の事例から「人工知能は人間よりも賢い」という漠然としたイメージが立ち、これをマスコミが過剰報道によって煽り「AI神話」を生み出したことも大きな原因といえます。AIソフトを利用している方は、儲かったという(ひと時の)結果だけでソフトの有効性を判断をするのは危険です。人工知能の仕組みを大まかにでも理解し、ソフト販売業者の説明が理にかなっているかどうかを見極めてください。そうすることで、大量に出回っている「AI神話」を利用した詐欺まがいの自動売買ソフト・投資商材に手を出さずに済むことでしょう。特に無料試用でも危険です。試用者が多いほど「まぐれで」勝つユーザーが増えますので、気を良くした幸運ユーザーに詐欺商材を購入させるという手口も考えられます。
※参考2:山口風樹、杉本誠忠、酒本隆太、鈴木智也:「EBS板情報を用いた外国為替レートの短期予測」電子情報通信学会ソサイエティ大会、N-2-4、2021
売買判断における人工知能活用の可能性
これまでの説明のように、人工知能を実装するための情報やプログラムは世界中に公開されているため、単にツールとして用いるだけでは差別化できませんし、そもそも生き物のように無常な金融市場においては役に立ちません。しかし活用方法に工夫を施すことこそ、他者との差別化となり、競争優位性を生み出す要因となり得ます。その可能性は主に二つです。まず一つは、コンピューターの5つの利点の範囲内でのデータ処理において、人工知能を活用できないかということ。例えば投資信託で投資判断に使われてきた従来データは株価・財務情報が主ですが、これらに加えてアナリストレポートなどのテキスト情報、生産・消費に関する衛星画像、その他多様な非財務情報も新しいデータとして投資判断に活用する研究が行われています。テキストや画像というと、確かに人間でも認識することはできます。ですがそれらの数が非常に多く、しかも迅速な判断が要求される場面では、人工知能を活用した方が有利でしょう。
もう一つは、人工知能が持つ「帰納的思考」に、人間の持つ「演繹的思考」を加えようという研究です。人工知能には、事前に与えられたデータの範囲内でしか考えることができないという「フレーム問題」というものがあり、根本的な解決は困難です(※図4)。人間なら事前にデータが与えられていなかったとしても、演繹的に妥当なロジックを考えることができます。例えば、人間は「なぞなぞ」を解くことができますが、人工知能は解けません。その点において、人間の思考には人工知能にはない高い優位性があるのです。したがって、人工知能を構築する順序として望ましいのは、まず人間の演繹的思考を基礎にすることで判断モデルの概念を理解できるようにし、その上で既存の人工知能が持つ帰納的思考で経験(過去データ)から客観的事実を学習する機能を付け加えることだといえます(※図5)。例えば、計量ファイナンスで考案された伝統的なマルチファクターモデルを基礎に人工知能を適用すれば、より現実に整合する再現性の高いモデルに磨き上げることができます。
※図4:人工知能(AI)のフレーム問題
※図5:人間と人工知能(AI)の融合
こうした観点をベースとして、我々は現在二つの研究を行っています(※参考3)。一つは、テクニカル分析のようにルールベースでの取引ができる理論的整合性かつ経験的妥当性が確認できるタイミング(特にゴトオビ)でのみ、システムトレードを実行する方法(※参考4)。そしてもう一つ。将来予測というのは「なぞなぞ」を解く際の思考と同じく外挿問題に相当するため、人工知能にとっては難しいタスクです。そこで発想を変えて、現在の相場の異常性を検知する内挿問題に置き換えて人工知能を活用します。大量の銘柄を高速でチェックできる人工知能の利点をフル活用しつつ、異常な相場の修正過程を収益機会とすることで理論的に合理的な投資判断を可能にします(※参考5,6)。この異常検知モデルは人工知能運用のアルゴリズムとして既に稼働しており、今後さらに金融業務のリスク監視として活用できると考えています(※参考7)。
※参考3:鈴木研究室
※参考4:秋山朋也、杉本誠忠、酒本隆太、鈴木智也:「国内輸入に伴う貿易取引通貨比率とゴトオビアノマリーの関係」JAFEEジャーナル、Vol.19、pp.57-78、2021
※参考5:日経新聞「人間心理の株価への影響 AI検知・茨城大などモデル」
※参考6:特願2021-198352「株価評価装置,株価評価プログラム,株価監視プログラム,資産運用プログラム,株価評価方法,株価監視方法,及び資産運用方法」
※参考7:朝日新聞「今の株価はコロナバブル? 人工知能で値動き分析すると」
取材・執筆:World Academic Journal 編集部